今回は小田原宿・箱根宿・三島宿・沼津宿・原宿・吉原宿を巡っていきます。
最後まで読んでいただけると幸いです。
9.小田原宿
日本橋から9番目の宿場町、小田原宿です。
大磯宿から約4里(約16km)です。
神奈川県小田原市に所在しています。
時刻は朝6時、2日目の行程が始まります。
小田原宿は現在の国道1号線沿い、小田原駅や小田原城の南側に広がっていたとされています。
現在でも風情のある街並みが残っています。
こちらは「小田原宿なりわい交流館」です。
この建物は1932年に建てられた旧網問屋を再整備し、観光案内所や休憩施設とした場所です。
朝6時に開いているはずもなく、外観を眺めるのみとなってしまいましたが、小田原の町の歴史を象徴する、風情のある建物です。
このような街中の何気ないものからも、確かにここに宿場町があったんだということを再確認できます。
こういうものを見つけるとちょっと嬉しくなります。
やはり小田原と言ったら、小田原城は外せないでしょう。
関東ではこれだけしっかり城跡らしい城跡が整備されている場所も少ないので、貴重な場所とも言えます。
天守は現存のものではありませんが、日本100名城のうちの一つであり、濠などもしっかり残っているので、見応えのある城跡かと思います。
朝6時くらいですとほとんど人もおらず、清々しい散歩ができました。
10.箱根宿
日本橋から10番目の宿場町、箱根宿です。
小田原宿から約4里8丁(約17km)です。
神奈川県箱根町に所在しています。
神奈川県、そして旧相模国最後の宿場町になります。
いよいよ難所と言われる箱根の峠越えに入ります。
浮世絵からもその険しさが見て取れます。
箱根宿は現在の芦ノ湖湖畔に広がっていたとされています。
箱根宿のほど近くに、箱根関所が設置されていました。
「入鉄砲に出女」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
この言葉の由来は、ここ箱根関所から来ています。
江戸の領域内に鉄砲が入ってこないよう、また江戸の領域内から女性が出て行かないよう監視をしていたことから、この言葉が生まれました。
現在ではもちろんそのような取り締まりは行っていませんが、関所の跡はしっかり整備されて残っていますので、見学してみてはいかがでしょうか。
箱根と言えばもう一つ、箱根駅伝が有名かと思います。
この箱根駅伝の折り返し地点が、ちょうど箱根宿のあった辺りです。
近くには箱根駅伝ミュージアムもありますので、こちらも見学してみてはいかがでしょうか。
11.三島宿
日本橋から11番目の宿場町、三島宿です。
箱根宿から約3里28丁(約15km)です。
静岡県三島市に所在しています。
静岡県最初の宿場町であり、旧伊豆国唯一の宿場町になります。
三島宿は、現在の三嶋大社周辺に広がっていたとされています。
浮世絵に描かれている鳥居もこの三嶋大社のものです。
この三嶋大社ですが、いつ建てられたのかは不明とのことです。
しかし、奈良・平安時代の古書にも記録が残っているとのことから、少なくとも1000年以上前からあったことになります。
ちなみにこの「三嶋」というのは、伊豆諸島のことを指しているとされています。
後にこの付近の地名もここの名前に合わせて、「三島」となりました。
とても立派で広大な境内を持つ、三島を代表するスポットです。
現在の三島大通りがかつての東海道の道筋でした。
宿場町としての名残か、今でも数多くの商店が道沿いに立ち並んでいます。
樋口本陣があったとされる場所には、現在は石碑が立っています。
この付近に宿場があった確固たる証拠です。
12.沼津宿
日本橋から13番目の宿場町、沼津宿です。
三島宿から約1里半(約6km)です。
静岡県沼津市に所在しています。
旧駿河国最初の宿場町になります。
沼津宿に関しては、見るべき場所を間違っていたようで、ほとんど写真が残っていませんでした。
沼津宿は現在のJR沼津駅南側、沼津の中心市街地あたりに広がっていたとされています。
この写真はそこからさらに少し南に行ったところにある千本松原の様子です。
沼津を代表する景勝地です。
もう少しコンディションが良ければ富士山が目一杯に広がる様を見ることができます。
13.原宿
日本橋から13番目の宿場町、原宿です。
沼津宿から1里半(約6km)です。
静岡県沼津市に所在しています。
このような形の案内看板は、どうやら静岡県内の東海道の宿場町全てに設置されているようです。
全部は見つけられませんでしたが、このようなものがあるのは親切だなと思います。
原宿の最寄駅はJR東海道本線の原駅になります。
駅の外観も宿場町のイメージに合わせたものになっています。
こちらは原宿の本陣跡です。
詳しいことは忘れてしまいましたが、改めて写真を見ると空き家の軒先みたいな場所にありますね…。
14.吉原宿
日本橋から14番目の宿場町、吉原宿です。
原宿から約3里6丁(約12.5km)です。
静岡県富士市に所在しています。
この吉原宿、実は2回ほど移転しています。
その2回とも、高潮により壊滅的な被害を受けたことによるとされています。
これにより吉原宿は移転の度に海から離れていき、最終的に現在の吉原本町のあたりに落ち着きました。
この吉原宿の特徴を表す言葉に「左富士」というものがあります。
これは江戸から京都に向かう際、富士山はずっと進行方向右手に見えているのですが、この吉原宿の近辺のみ、進行方向左側に富士山が見えることから来ています。
この写真も奥に富士山が見えていますが、確かに左側に見える…ような。
そしてこの吉原宿、やたらとこの左富士を推しています。
街中のあらゆる場所に左富士の文字が見えます。
この写真のように、その名も「左富士神社」なるものが作られるくらい、この付近の方々は昔から今にかけて左富士をアピールしたいみたいです。
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