2014年3月に大学を卒業し、その際に一人卒業旅行として東海道五十三次完全制覇の旅を敢行しました。
その時のことついて、振り返りながら書いていきたいと思います。
5日間かけて、東海道の宿場町53ヶ所を全て巡りました。
この時の移動手段は当時所持していたマイカー(ワゴンR)です。
宿場町の現在の様子を見つつ、歌川広重が描いた浮世絵の風景と可能な限り照らし合わせながら紹介していきたいと思います。
場所によっては到着が夜になってしまったり、スポットがうまく見つからなかったりしたこともありますが、どうか目を瞑っていただけたら幸いです。
東海道五十三次とは
その前に、東海道五十三次について簡単に説明します。
東海道五十三次とは、江戸時代に徳川家康が整備した東海道の、53ヶ所ある宿場のことを指します。
東京の日本橋から京都の三条大橋までを結んでいて、総延長は124里8丁、約500km弱です。
現在で言えば国道1号線(東海道)にほぼ沿っている形になります。
また、歌川広重が描いた浮世絵作品としての東海道五十三次もよく知られています。
スタート:日本橋
2014年3月11日の午前11時頃、日本橋に到着しました。
東海道の起点であり、今回の旅のスタート地点でもあります。
東京都中央区に所在しています。
現代の日本橋は上空を首都高が通過し、高架橋に覆われています。
ですが、道路脇の荘厳なモチーフなどからも、この橋がただの橋ではないということを感じさせてくれます。
江戸時代に整備された東海道をはじめ、中山道・日光街道・奥州街道・甲州街道の5つの街道、通称五街道の起点とされたのがこの日本橋です。
言ってみれば日本の中心とも言える場所なわけです。
そのことを示すのがこの道路元標です。
ちなみに、日本橋の道路脇にあるこの写真の道路元標はレプリカで、本物は橋の中央、つまり道路のど真ん中にあります(さすがに撮影しに行くのは不可能でした…)。
1:品川宿
日本橋を出発して最初の宿場町、品川宿です。
日本橋からは約2里(約8km)です。
東京都品川区に所在しています。
京急線北品川駅近くの踏切あたりから、品川宿のエリアになります。
当時はこの付近、東海道が通っていたあたりが海岸線だったようですが、今の風景からはにわかに信じがたいです。
旧東海道の道沿いにある聖蹟公園は、品川宿の本陣跡を整備した公園です。
旧東海道の現在の様子です。
現在は活気のある下町の商店街といった趣きです。
これが江戸時代から存在していた道だと考えるとロマンを感じます。
2:川崎宿
日本橋から数えて2番目の宿場町、川崎宿です。
品川宿からは約2里半(約10km)です。
神奈川県川崎市川崎区に所在しています。
多摩川越しに見た現在の川崎です。
浮世絵に描かれているのも同じ多摩川ですが、今では渡し舟の代わりに橋がかかり、茅葺き屋根の家屋は高層ビルに変わりました。
旧東海道の道筋が現在でも川崎の中心繁華街を貫いています。
旧東海道から川崎駅方面を見た写真です。
東海道の一宿場町から、今では大都市に発展しました。
3:神奈川宿
日本橋から数えて3番目の宿場町、神奈川宿です。
川崎宿から約2里半(約10km)です。
神奈川県横浜市神奈川区に所在しています。
信じられないかも知れませんが、この写真と上の浮世絵はほぼ同じ場所、同じ画角で撮影しています。
どちらも現在の京急線神奈川駅近くの青木橋付近から横浜駅方面を見ています。
写真左側の高層ビルが建っているあたりはかつて海だったということになります。
京急線の神奈川駅が、神奈川宿のあった場所の最寄り駅になります。
駅前には、神奈川宿について紹介しているパネルが設置してあります。
今回の振り返り
今回は日本橋・品川宿・川崎宿・神奈川宿を紹介しました。
東京都心から横浜にかけての都市部にも、宿場町風情の残ったエリアがあるんです。
次回は箱根越えの手前、神奈川県西部の宿場町を巡っていきます。
よろしければ続きもご覧ください。
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